材木屋さんの倉庫改装から


Cottageというだけに、木部の存在は外せません。


と言っても、限られた資源と価格の兼ね合いにていろいろな樹種を使う場面も。


床はアンティークフィニッシュにオーク単板を使用したフロア材。


室内ドアはアルダーと言って少し柔らかめの節の大きい木板です。


構造材の見せ梁は米松。


リビングドアはチークのヴィンテージ建具。


キッチンキャビネットは綺麗なオーク。
室内装飾に貼った板もオークの皮つきスライス。


玄関框はトラフと言って、虎の皮模様の様な板を框に使わせてもらいました。


これは、市内の製材屋さんから譲っていただいた材料です。


木はいろいろな表情があり面白い。




前のページ   次のページ

Eco paintでカラーを愉しむ


通常の建物は内部にプラスターボードの上にビニルクロスを貼り完成ですが、私はクロスを貼らずにビードに直接塗装しました。


水性塗料はもちろんFARROW&BALL。
イギリスの歴史ある大好きな塗料です。


今回の建築テーマにサスティナブルという念頭があります。
プレミアムペイントとなりますので、出来る限り在庫となっているカラーを使おうとカラーコーディネートしてみました。


沢山の缶を並べて、色が塗り分けられていくことで温かみを感じたり元気な気分になったりと好きな色の空間に居るとパワーをもらえます。


カラーにはグロス(艶)具合も重要です。
適材適所に、グロスの指定をして光の当たり具合等からどんどん空間が仕上がってくるのがとても楽しみでした。




前のページ   次のページ

Farm Cottageを目指して


構造の木材が表しになると、どうしても和風っぽくなってしまいます。


建物コンセプトはFarm CottageでしたからインテリアもFarmers styleに統一予定。
ただ、そこまで拘り切れないし当社倉庫にて在庫で行き場に困った建材を使うとなるとしっかりstyleが統一できるか心配でした。


外壁には、カナダからLog材を輸入した際一緒に入れたLogサイディングを採用。
建築予定当初は25年前に輸入したLOG材を5段ほど組んで土台にしたかったのですがLog材を使うと使わないとでは構造材の金額が100万円以上も違うと言われ諦めました。


その後、使いたかったLog材はお客様がミニコテージを建築いただいた際にお使いいただき見事再生されました!


日の目を浴びず倉庫の肥やしになっている材料が沢山ある事は否定できません。




前のページ   次のページ

サスティナブルな建築を目指して


建築までのストーリーがとても長くなってしまいました。その間にも、図面は着々と作り内装仕上げも決めていました。


今回は、材料に無駄なくコストも時間もかからない建築をやってみようと試み建物計画をしました。


建物の外周部は4間(約7.2m)角の真四角の本屋にウッドデッキと玄関ポーチが飛び出た感じです。


屋根は90度の勾配にて、小屋裏を一部部屋にしています。1階16坪に小屋裏10坪デッキ8坪とコンパクトな作りです。


1階室内は天井の構造材を現した大きな梁が行きかっています。


二階は一部天井も低いのでプラスターボードを貼って綺麗に仕上げていますが、すっきり仕上げて色合いも明るくしたので天井に低さが気になりません。




前のページ   次のページ

時間をかけて、手間暇かけて


金沢市の担当者さんから見ると、「またですかー?」と言いたい事が何回あったでしょうか笑


最終的には、地主さんである農事組合法人の代表ご夫婦も一緒に同席いただきました。


そして、かかって半年と言われていた許可は10か月後にようやく目途がついてきました。


農業振興課→農業委員会→建築指導課→景観政策課 etc..


多くの課で計画や図面を見ていただきOKをもらい最終許可がでました。


その場で地元の方達にご連絡して、皆さんと喜びを分かち合うのも束の間。


工事の着工段取りがどんどん進んでいくのでした。




前のページ   次のページ

ルールを変える事は簡単じゃない


今回、とても勉強になったのは行政との関わり方。


地元の方々と、この地で建築してどのように里山を広めていくかという話し合いは沢山しました。


それらをまとめて、行政に提出するのですが中々理解していただけない。


それは、前例の無い事だからだそうです。


前例の無い事は、一旦できません。と回答が来ました。


それでは、どのようにしたら今回の計画は遂行できますか?に対しても明確な回答は来ず、金沢市の担当者さんと話し、資料を提出してそこから県の担当者さんへ。


一つだけ色眼鏡で見られていたのは、私が建築屋の代表だから里山にモデルハウスを作り商売をするのではないか?という事でした。


その気持ちはほとんどなく、純粋に地元の農業を盛り上げようとする気持ちが伝わらずに葛藤していた日を思い出します。




前のページ   次のページ